1991年の暮れにソビエト連邦が崩壊し,国歌も以前のもの(俗称:祖国は我らのために)からMikhail Glinka (1804-57)による
「愛国歌」 に改められた。この曲は,旧ソ連時代のモスクワ放送日本語・朝鮮語の
開始テーマ曲 として,日本ではよく知られていた。ロシア連邦の成立と相前後して,Radio Moscow World Serviceとして,英語放送の充実が図られたが,その時インターバルに流されたのは,Radio Mayakで聞き慣れた
"Moscow Nights" (モスクワ郊外の夕べ)であった。
しかし2000年5月にVladimir Putinがロシア連邦の大統領に就任すると,国歌はAlexander Alexandrov (1883-1946)作曲のソ連邦時代の曲に戻された。同時にRadio Moscow改めVoice of Russiaのインターバルシグナルは,Mussorgsky (1839-81)のピアノ組曲「展覧会の絵」に含まれる
「キエフの大門」 に変更されたが,Putinの大ロシア復興を大義とする性向はこの頃に遡るかも知れない。
The Golden Gate, Kiev (Wikipedia Commons)
初代の「キエフの大門」は11世紀に建設されたが,13世紀のモンゴル侵攻によって破壊されたと伝えられる。現在の門は1982年の復元であり,従ってMussorgskyの時代には廃墟が残るのみだった。⇒経緯は
こちら 。
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The Great Gate of Kiev (Arranged/Conducted by Douglas Gamley)
東西冷戦期に西側のプロパガンダを担ったRadio Libertyのロシア語放送の
インターバルシグナル は,Alexander Gretchaninov (1864-1956)による"Hymn of Freedom"に基づく。原曲は1917年の2月革命の後,ロシア共和国の非公式国歌として提案されたものだが,10月革命を経て成立したソビエト政権はインターナショナルを国歌に定めた。
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自由ロシア讃歌 現在は,インターネットメディア等が中心であり,
RFE/RL の短波放送はタジク・ウズベク・トルクメニスタン語でのみ実施されている。現段階で,USAGM (BBGの後身)は短波放送の再開予定はないとしているが,民間団体(Shortwave for Freedom)が資金を集めて
WRMI (Okeechobee, FL)からRadio Libertyのロシア語番組の送信を再開している。
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ロシアのウクライナ侵攻に伴い,2022年3月4日から日本からの欧州便はシベリア上空を避けて,南回りまたは北回りの迂回ルートを飛ぶようになった。当初はJALは北回り,ANAは南回りを選択したが,偏西風の関係で不利になるため,4月中旬からは両社とも往路は北回り,復路は南回りで飛ぶようになった。図は22年4月10日03:15UTC時点の,FlightAwareによる商業フライトの位置を示す。見事にアナトリア半島の黒海沿いに幹線ルートが出現しているのが見える。ANAの欧州便はHND→VIE→FRA→HNDの三角運航をしているが,この時点ではNH1901便は,カスピ海の上を飛行していたことが判る。ただ
ジェット機によるCO2 排出 は無視できないレベルなので,迂回運航の継続は地球環境面でも望ましくない。
黒海沿いルート上で最大のハブ空港としてIST (Istanbul国際空港)があるが,上図では機影に隠れて見えないので,オレンジの
● で位置を示している。南回りルートは上空を通過するだけだが,空港はIstanbulのヨーロッパ側に位置し,夜間に南からアプローチする場合には写真のような光景が見える。ISTの滑走路は34L/R-35L/R-36と並ぶが,実際は5本並行で殆ど真南からの進入になる。(2019.9.12)
奈良線の複線化第2期工事は,2023年春の完成を目指して追い込み段階に入って来た。22年前半には,2月27日の新田~城陽間に続いて5月22日に六地蔵~黄檗間 の複線化が完了する。基本的な線路切換の概要は,上の図(JR西日本「環境影響評価方法書」 2014)に示す通りである。
第1期 第2期 京都 ∩ ∩ 〇東福寺 〇稲荷 △JR藤森 △桃山 ∩∪ △六地蔵 ∩∪ △木幡 ∩∪ △黄檗 宇治 ∪ ∪ 〇JR小倉 △新田 ∩ 城陽 ∪ ∩∪
表は京都~城陽間の各駅の,第1期複線化時と第2期完了時における折返し設備をまとめたものである。∩は木津方への,∪は京都方への信号設備上の折返し可能性を示し,〇は第1期複線化時に停留場である駅,△は第2期完了時に停留場となる駅を示す。第2期複線化完了後には,運転支障が生じた場合の運転見合わせ区間が長くなることが問題だろう。
複線化に伴う線路切換では,18年12月8日に桃山~六地蔵間,19年3月30日,6月22日,11月2日,20年5月23日に木幡~新田間,22年2月26日に宇治~棚倉間で運転見合わせになったが,第2期複線化完了後は桃山・六地蔵・木幡・新田での折返しは不可能になるので,京都~城陽間を一括して見合わせる外なくなる。
2022年3月16日の福島県沖を震源とする地震以来運休が続く阿武隈急行線。宮城県側の拠点駅である丸森駅の駅舎左半分には,丸森町の
移住・定住サポートセンター が入居しているが,レンタサイクルが大きな面積を占めている。奥に見える桜の木の手前には代行バスの停留所が設置されている。
丸森~槻木間は,4月18日から朝夕のみ運行が再開されることが
4月13日に発表 された。しかし同日の夕方には,1番線のあぶくま方には軌陸バックホーが留置され,2番線をモーターカーにけん引された工事用車両が通過する状況だった。(2022.4.13)
阿武隈急行線は当初,東北本線のバイパス線として計画され,丸森~槻木間は鉄建公団建設線(C線)として1968年4月に開業したが,残る福島~丸森間は国鉄赤字に伴う工事凍結を受け,規格をA線に変更して第3セクター移管後の1988年7月に開業した。規格の差ゆえか,丸森以南の区間は地震や土砂災害による不通が長期化する傾向にある。
去る4月2日~3日に,E653系勝田車(K70編成)を使って臨時特急いわき号が運転された。それを目当てに八王子駅に「撮り鉄」が集まり,一般利用者を線路上に押し出す事故が2日に発生した。いわゆる「葬式鉄」もそうだが,本当は日常的記録が重要であり,特別の日の特定の列車を写すことは,他に同様の行動を取る人が多い時点で,オリジナリティに欠けるし,人迷惑でもある。
同車は3月31日まで,新幹線代替の臨時快速(郡山~仙台間)に充当されていた。しかし当日は名取~南仙台間で16:20頃発生した人身事故のために,白石~仙台間で運転見合わせになった。郡山16:53発の下り臨時快速も藤田・越河・白石で抑止になり,仙台へは約2時間遅着となった。写真は白石駅で運転見合わせ中のクハE653-1008を先頭とする同列車。写真を撮る人など1人も居らず,混雑とは程遠い。(2022.3.31)
なおK70編成の郡山到着は定刻の16:41だったが,5番線で折返し整備中に隣の4番線をE653系下り回送列車(新潟車)が通過するのが見えた。しかし臨時快速乗車待ちの列を乱す人は居らず,郡山を満席で出発した。3編成目の送り込みは,K70編成を臨時快速から離脱させる目的であることは明らかだったが,本当は郡山で車両交換すれば幾ばくか回送経費を節約できたに違いない。
国際連合は1945年10月に,第2次大戦の連合国を中心とする国際組織として発足した。日本では「国際連合」と曖昧な呼称が用いられるが,中国語では「聯合国」であり,いわゆる枢軸国は国連憲章上,今だに「敵国」と見做されている。他方,戦勝国である米英仏,中華民国及びソビエト連邦とその後継政府には,安保理における拒否権を始めとする絶大な権限が与えられている。
かつての連合国には戦争終結への統一的意思があった故の拒否権だろうが,常任理事国が戦争当事者になれば,機能不全に陥ることを露呈してしまった。たとえば常任理事国のうち2ヶ国が反対して初めて拒否権が発動できるという,トーナメントおけるdouble eliminationに類するルールへの変更が望まれる。緊急特別臨時総会の招請に関しては,拒否権が発動できないことが一種の安全弁になるが,総会決議には安保理のような強制力は伴わない。写真はお馴染みの国連総会議場。
国連本部には,各国からの寄贈品も展示される。写真はルクセンブルグから贈られた"
The Knotted Gun "と呼ばれる,スウェーデン人の彫刻家,Carl Fredrik Reuterswärd (1934-2016)による非暴力を象徴する作品だが,現実には銃どころかミサイルまで使った襲撃が絶えない。(2018.2.6/9)
2022年1月28日午前7時前(日本時間同日20時前),Pittsburgh東郊のFrick Parkで
道路橋が崩落 した。61B系統のバス1台が巻き込まれたが,outboundだったため乗客は2名に留まった。現場はGoogle Mapで,Forbes Ave.がFern Hollow Creekを越える地点であるが,この橋を渡る61A,61B系統等が当分影響を受ける。
Biden大統領がインフラ投資の重要性を強調する演説のため,Pittsburghを訪れる直前の事故だったが,日本でも高度成長期に整備されたインフラの老朽化は否めず,積極的な点検・補修工事が必要になる。しかし補修は票にならないため,議員はどうしても新規案件に流れる傾向が強い。限られた予算を有効に使うため,冷静な評価に基づく計画的再整備が急務と言える。
短波放送は衰退の一途を辿り,先進国間では衛星放送に置き換わっているが,途上国,就中紛争地域では今だに代えがたい手段となっている。ネット配信では通信事情や相手国政府の遮断等により,正確な情報を伝えることが困難だからである。日本国内ではKDDI八俣送信所が運用を続けているが,諸外国では送信所を廃止した国も多い。一方で現在も運用を続けている送信所では,時間貸しビジネスが一般化しているため,比較的気軽に遠隔地に向けた放送を実施できる状況にある。
旧西ドイツのDeutsche Welleは,一時は”Deutsche Welle über Alles"と揶揄されるほど隆盛を誇ったが,現在は短波ではAmharic, Dari, Pashto, Hausaの4言語しか放送しておらず,そのうちドイツ国内からはPashto, Dari語放送を1日延べ1時間,それも旧東ドイツのNauenから送信するのみであり,大半はフランスIssoudunからの送信である。この4言語はEthiopia, AfghanistanとNigeria周辺の言語であり,紛争地域を重視する傾向は明らかだろう。
Ethiopiaは長い紛争の歴史を持つ。主要言語としてはOromo語が概ね34%,Amharicが27%,Tigrinyaが6%となっている。1974年まで続いた帝政でも,その後の人民民主共和国政府でも,人口的に少数であったアムハラ人が権力を維持し続けた。91年に人民革命民主戦線が人民民主共和国政府を放逐したが,その主力となったのはTigray人民解放戦線であり,同時にTigray人を主体とするEritreaが分離・独立することになった。(結果的に,現Ethiopia国内ではTigrinyaは少数言語になっている。)
2020年からのTigray紛争では,Ethiopia北東部のTigray州の離脱を目指す勢力を,Ethiopia政府軍とEritrea政府軍が連携して鎮圧しようとする,奇妙な状況が生じた。Abiy Ahmed Ali首相は,Eritreaとの国境紛争を平和的に解決した功績で,2019年のNobel平和賞を受賞したが,現在は国内のTigray人民解放戦線の鎮圧を志向しており,平和賞の意味を問われる事態になっている。
下に,現行(2022年3月27日まで有効)のEthiopiaの主要3言語による放送スケジュールを示す(曜日と時刻はUTC)。Deutsche WelleはAmharicのみであるが,BBCやVOAは3言語とも使用しており,予算削減の中でもEthiopiaの地政学的な重要性を認識していることが解る。なお
Radio Fana はEthiopiaの政府系放送,IBRAやTWRはキリスト教系宗教局である。
学習院大学の川嶋辰彦名誉教授の訃報に接し,謹んでご冥福をお祈り致します。毎年自筆の絵が添えられたgreeting cardを頂きましたが,2021年が最後になりました。
今年の文面を引用すると,「
GONGOVA による北タイ熱帯季節林内の現地研修プログラムは,COVID-19の影響により,本年度,夏季及び春季(2021年2~3月)とも中止致しました。他方,北タイでの山村支援活動は,村落内労働作業の統括を現地カンターパートにお願いし,東京からの『リモート協力体制』に拠り現場の活動を幅広くサポートしております」とあり,晩年のライフワークであったタイでのNGO活動を,コロナ禍で断念せざるを得なかった状況が報告されています。
川嶋教授が1971年に学位を取得したPennsylvania大学で,最も古く,かつ中心的建物と言えるCollege Hall (1871年竣工)と,その前に佇む創設者,Benjamin Franklin (1706-90)の像。(ca.1981.2)
川嶋教授が1977年から79年に掛けて,主任研究員として在籍したWien郊外Laxenburgの国際研究機関
IIASA (International Institute for Applied Systems Analysis)の本部建物。(2020.2.13)
JR東日本の総2階建新幹線E4系が,10月1日を以て定期運行を終える。1997年の登場時には,首都圏への人口集中が続き,それに伴う通勤圏の拡大から,新幹線通勤が一般化する時代だった。これには98年の税制改正で,通勤手当の非課税枠の上限が月額5万円から10万円に倍増したことも寄与している。タワマン林立による住宅需要の都心回帰に,コロナ禍でのテレワーク普及が加わり,新幹線通勤は歴史的役割を終えたと見ることもできる。一方で重心が高く,時速240kmが上限となるE4系が,高速化の足かせになったことに加えて,バリアフリーに対する社会的要請に適合しない点も否めない。
東北新幹線は東日本大震災で甚大な被害を受けたが,2011年4月29日に全線復旧に漕ぎ着けた。写真は,減速を伴う暫定ダイヤで運行されていた時期のE4系を仙台駅で捉えたものである。E4系は翌年9月には東北新幹線(大宮以北)から撤退し,専ら上越新幹線で運用されて来たが,写真は帯色がトキ色に変更される前の原色を示す。(2011.5.16)
総2階建新幹線の先駆者は1994年に登場し,2012年まで運用されたE1系であり,現在のE4系の塗色は,E1系のリニューアルに際して採用されたものを踏襲している。写真は塗色変更が進められていた時期に,新幹線総合車両センターのトラバーサに載るE1系車両だが,トラバーサ全体が幌で覆われている為,車種等は判別不能である。(2005.6.14)
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